森林組合とは
森林組合法(昭和53年)に基づいて運営される協同組合ですが、愛鷹山森林組合の歴史は古く、創立は昭和24年に遡ります。 地域の森林を所有する人たちが出資して設立され、森林づくりを進めています。
森林組合には、高い林業技術を持ったスタッフが所属していて、組合員である森林所有者からの委託をはじめ、国・県・市町から委託されて、間伐や山の下草狩り、伐採、植林などの森林の仕事を行っています。
また、行政の支援制度に関する情報提供なども行っています。
概要と主要事業
現在の主な業務内容
60年のあゆみ
1.設立登記以前 ~追補責任 愛鷹山森林組合の誕生~
1939年(昭和14年)、森林法の改正が行われ、「追補責任」制の森林組合の規定が設けられました。
1941年、追補責任愛鷹山森林組合を創立することとなり、出資の払込が始まりました。
その核となったのは、沼津市を中心とする富岡村、小泉村、長泉村、清水村、大岡村、金岡村、愛鷹村、浮島村、片浜村、原町の11市町村で、 これらの町村は、古くから「愛鷹山組合」という事務組合役場をもって愛鷹村の土地三千町歩(3000ha)余を所有していました。
しかし、その後の戦時の混乱により、出資払込が進まず、愛鷹山組合への協力が主たる業務でした。
2.創立期
1949年(昭和24年)親団体である愛鷹山組合が小作法の適用を受け、所有していた農地等を解放し、解散することとなりました。
このため、同組合が所有していた土地・建物、什器等を愛鷹山森林組合に払い下げることとなり、これを受けて増資を実施、同年7月28日に設立登記が行われました。
3.拡大造林期
1950年代(昭和25~34年)は、戦争中の乱伐地の復興のため、造林熱が高まり、拡大造林に移行する時期でした。
当組合も、造林が基幹事業となり、黒松及び檜の植栽・造林に全力を注ぎました。
1960年代は檜の植栽が主流となり、この地域の山は95%までが檜という時期でした。
4.林業衰退期
1970年(昭和45~54年)に入ると、海外からの輸入材の影響もあり造林事業にもかげりが見え始めました。
また、1957年(昭和32年)から研究開発に取り組んでいた椎茸栽培事業が、1975年(昭和50年)前後にピークを迎えるが、その後は減少傾向をたどっています。
このころを期に、緑化工事、保育工事などの新たな事業展開が始まり、特に、松等の病害虫防除事業が増加し始めます。
5.平成期
1980年代末、昭和から平成に移行する時期には、香貫山、千本松原などの松枯れ被害が激甚化し、香貫山では松が壊滅状態となり、 松枯れ木を除去するとともに、桜の山として復元する「生活環境保全林整備事業」が実施されました。
6.21世紀の展望
林業は今、樹木を「木材」として扱うことから「環境材」として評価する方向に変わりつつあります。 森林はCO2を吸収して酸素や水をもたらし、土砂災害を防いでくれることはもとより、豊かな海をつくる源として注目されています。
私たち森林組合も、「環境林」を守り育てるという立場から、新たな森林施業、都市の緑化に取り組んでいきたいと考えています。
また、里山である香貫山には古来からソメイヨシノ、ヤマザクラ、オオシマザクラ等の桜が数多く植栽されてきました。 しかし、年月の経過とともに老木となりその殆んどが桜特有の天狗巣病に羅病し、その調査と羅病樹の処理を受託し被害木・枝の除去に当たり、香貫山の桜の名所づくりにも取り組んでいます。